五辻通大宮西入にある㈱西陣まいづるでは、西陣織工業組合の理事長である舞鶴一雄さんが会長を務めます。
今回は、2018 年に社長に就任された舞鶴政之(まいづる・まさゆき)さんにお話を伺いました。
──本日はよろしくお願いします。まいづるさんは明治の創業と伺いました。
〈舞鶴さん〉 その通りです。沿革から説明しますと、大宮元誓願寺にある木村卯兵衛さんから、初代 舞鶴正七が1907 年(明治 40 年)に独立させてもらい、「舞鶴正七商店」を立ち上げたのがルーツになります。創業当時の看板には、木村卯兵衛さんと同じ笹の紋 が描かれています。
〈舞鶴さん〉 戦時中は軍需指定工場となりまして、その際には、軍用のコート地を織っていたそうです。西陣はそうした軍需指定工場が他にもあり、パラシュート生地を織っていたり、軍服につける階級章のワッペンを織っていたところもありました。
コロナで1回目の緊急事態宣言が出た時に会社のものを整理したのですが、その時に戦前のもの、戦時中の資料が色々と出て来ました。
戦時中、男性は徴兵されてしまいましたが、残された女性、年配の方が機を動かし続けていました。戦後は生産設備がそのままであったこともあり弊社は比較的復興が早かったと聞いて居ります。
──現在では、どのような帯を織っていらっしゃるのでしょうか。
〈舞鶴さん〉 基本的にはホームページに掲載されているようなものです。フォーマルからカジュアルまで、幅広く取り扱っています。図案から創作で柄を起こして、新しい柄で帯を作ることを心掛けています。
──中心に置いてある帯の柄の細かさに驚きました。一部質感が違うように思いますが、この部分だけ手織りされているのでしょうか?
〈舞鶴さん〉 ゴブラン紹巴の帯ですね。いえ、その部分も力織機で織っています。ゴブラン紹巴は他の織物と比べ経糸、緯糸が高密度で製織されているのが特徴です。こうしたものも織れるのが、西陣が世界一だと思う理由の一つですね。
──職人を外注している織屋さんが多いなか、まいづるさんは自社工場をお持ちです。
なぜ内製化しようと思われたのでしょうか。
〈舞鶴さん〉 以前は、手織を除いて、出機さんに生産を依存していましたが、ある夏、エアコンが付いていない機場さんの織手さんが熱中症になられたりして、納期が遅れたりすることがありました。その事に加え、ご高齢の織手さんが年々増え続け、このままでは安定した生産ができないと強い危機感を持ち、自社工場の必要性を痛感しました。帯地青年会で博多に行った時に、博多のメーカーさんを見学させてもらったのですが、博多では内製化されているところが殆どです。
──織手の高齢化が叫ばれて久しいですが、まいづるさんの工場は若い人が目立ちます。
〈舞鶴さん〉 世代交代を考えて、できるだけ若い人を雇用するようにしています。
現在 70 代の人の 10 年後は80 代。いつまで続けてくれるかわかりません。10年、20 年先のことを考えると、高齢の織手さんばかり頼るわけにはいきません。
──来月には「西陣織大会」があります。どのような帯を出品される予定ですか。
〈舞鶴さん〉 「売れるもの」と「賞をとれるもの」は別だと考えています。
昔は評価の基準が問屋さん目線だったのですが、今はエンドユーザーの目線に近い基準になり、審査員の方も時代の変化に合わせて変わっています。評価の基準もそれに従って変化していることを考えて、時代の変化、ニーズに応えたものを製作し、出品する予定です。毎年、清水寺で「今年の漢字」が発表されますが、それの帯版と考えていただいてもよいです。私達の「ものづくり」も世の中の変化を読んで、作らないといけません。
──きもの業界の斜陽化が叫ばれて久しいです。
〈舞鶴さん〉 現在はきものの押し売りが問題になっており、市場の縮小に対して供給過多になっています。今の消費者のニーズに合わない体制で販売していては着物離れは進む一方です。確かに売ることは大切ですが、消費者のニーズをとらえた生産をするのも大事。お客様のニーズを反映した商品がないと商売の土俵にすら上がれません。今は販売の不振で生産の問題は表面化しにくくなっていますが、今後は生産の問題が益々表面化していくと思います。今日、生産が出来、商いをさせて頂けるということは、当たり前の事ではないと認識しなければなりません。織手さんや関連工程の職人さん、仕入先さん、周りのおかげで商いができていることに感謝し、謙虚な姿勢でいなければいけません。同時に、何のために帯を作っているのかを考えるべき時になっています。弊社は「美を追求し、人の心を豊かにするため 」に帯を作っていると考えています。
コロナ禍を機に会社の歴史を振り返りましたが、過去も、ずっと順風満帆でやってこれかと言うと、歴代の先人達も時代ごとに困難を乗り越えて来てくれたおかげで現在も商売を続けられていることが分かりました。今度は自分が困難を乗り越えていく番だと考えています。