第11回は、半巾帯などを製造・販売する「西陣 田中伝」の店主、田中慎一さんにお話を伺いました。
──本日はよろしくお願いします。田中さんは、催事委員会できものサローネ担当委員長をされていますが、きものサローネには以前から出ていらっしゃるのでしょうか。
(田中さん)
第1回から出ています。現在の弊店があるのも、第1回で百貨店との取引が生まれたことをきっかけに、小売店との取引に繋がったことが大きいと思います。きものサローネは現在ではカジュアルきもの最大の催事ですが、弊店にとって思い出深い催事でもあります。
その他、きものサローネの関西版として「めーかんえぽっく」を天満橋のあたりではじめたり、消費者向けではありませんが、東京の日本橋で「東京カジュアルキモノ展」に出展したり、カジュアルな帯のメーカーとして営業しています。喜ばしいことに、2社で始めた「めーかんえぽっく」は、今では60社の参加があります。
──メーカーが直接、消費者に販売する場合、さまざまな問題があると推察されるのですが…。
(田中さん)
もともときものサローネなど、カジュアルきものの領域では直販のイベントが広がっているように思います。
フォーマルはなかなかそうもいきませんが、うちはもともと小売もやっているところとして業界で知られていますから、あまり文句は言われません。
──田中さんは先日のファミリーセールで、多くの柄の半巾帯を展示していらっしゃいました。どのくらい柄があるのでしょうか。
(田中さん)
今では400~500くらいの柄があります。弊店はもともと、喪服として使う黒共帯のメーカーでしたから、今のように多くの柄物の用意はありませんでした。第1回きものサローネの時は150柄程度だったと思いますが、積み重なって増えていきました。全国の百貨店で催事を行っていますが、うちほど多くの柄を見せられるところはそう多くないと聞いています。
デザインから自社でやっているので、お客さんの要望やふと浮かんだアイデアを柔軟に活用できた結果、柄の種類が積み重なってきた格好です。
──多くある中でも、先日のファミリーセールで出品されていたふわふわのものは、形状からしても目新しく、目を引きます。
(田中さん)
確かに、先がふわふわになっていて可愛い「ふわふわシリーズ」は、だんだん人気が出てきました。最初はあまり動かなかったふわふわシリーズですが、少しずつ浸透してきたのが変化の理由だと考えています。お客さんも自由に締めてくださっていて、販売側としてはうれしく思います。
弊店はデザインをお選びいただいて、そこからお仕立てするという形なので、規格より長めに作っています。体形によって合う長さがありますから、お客さんのご要望に合わせてお仕立てしています。規格以内の長さであれば対応可能です。
また、半巾帯以外にも、賞状の様式にした織額、兵児帯、といったものも取り扱っています。兵児帯も、弊店のように綺麗な紋が入ったものはあまりないようで人気ですし、賞状の様式にした織額は、一風変わった賞状として人気で、定期的に注文をいただいています。
──飾ってあるマネキンのジャケットも気になります。絽の生地も扱えるうえ、洋装に活用できるのですね。
(田中さん)
これはもともと取り扱っていた黒共帯が、夏物・冬物をセットで販売していた関係です。マネキンに着せているジャケットは、2011年には絽の生地をジャケットにし、地紋として市松文様を配した「風とおる『サマージャケット』」で京都府知事賞を受賞したこともあります。
大きな流通に乗せるには、広巾で一定の規格にのっとる必要がありますが、懇意にしているところで仕立てる分にはその限りではありません。このジャケットは当然、弊店の生地でできていますが、十分実用できますし、実際私は夏場のジャケットとして着ています。
弊店は普段着のきものを作っている帯屋ですし、ものづくりの企業として、よそにないものを作っていく必要がありますから、今後もこの方向性は続けていくと思います。
──多くの種類がありますが、中でもおすすめはありますか。
(田中さん)
弊店のおすすめでいえば、兵児帯や半巾帯が挙げられるでしょうか。最近のものでは、「日本昔話シリーズ」や「世界の名所シリーズ」といったものが一押しです。通販や阪神の織額など、黒共帯以外のものを少しずつ作っていって、商品を増やしていきました。
カジュアルキモノ展などさまざまな催事に出展し、販売していますが、ときどきお客さんが直接買いに来られることもあります。
──会社の歴史について伺ってもよろしいですか。
(田中さん)
弊店は私で3代目で、創業は昭和初期です。初代のときは、家の中に6台の機がありましたから、私も機音を聞きながら育ちました。
2代目までは黒共帯の機屋でしたが、私が継いでからは多品種の製造に取り組んできました。昔は嫁入り道具として喪服セットに定期的な需要があったことも、若い人は知らないでしょう。初代の名前である「田中傳吉」から取って田中伝機業店ですが、言いやすい方がいいと考え「田中伝」、展示会ではそれに地名をつけて「西陣・田中伝」で出展しています。
──多くの種類を見せていただきましたが、織機の種類も多いのでしょうか。
(田中さん)
うちに置いてあるのはほとんどが錦の機ですが、組織のことが分かっていれば応用が利き、自分のところで工夫ができるので、結果、商品に幅が出ます。経2400本は西陣では普通の機ですが、経糸の出し方で「どう見せるか」が決まります。
今のような方向性になったのは、もともと「黒の経糸をどう生かしていくか」というのが最初にありました。現在でも、経糸は黒か白しか使っていませんし、そこは色経(いろだて)を使っているところとの違いだと思います。
──会社として、今後どのように進んでいきたいとお考えですか。
(田中さん)
只今のものづくり体制はとれておりますが、心配は織職人さんの高齢化で、次々と辞めていかれるのが現状です。若い職人さん確保のため、新たな改革が必要です。
問屋さんにはオリジナル商品の製作、小売屋さんには新たな催事企画のご提案等、積極的なものづくりや企画提案に向けて、頑張りたいと思っております。