| 西暦 | 年号 | 染織事項 | 関連事項 |
|---|---|---|---|
| 5・6世紀 | 秦氏,山城の地を開拓,養蚕技術をもたらす | ||
| 603 | 推古 11 | 秦河勝,太秦に広隆寺を 創建 |
|
| 701 | 大宝 元 | 大宝令制定,織部司を置き,錦,綾,羅,紬の製織を掌らしめる | |
| 794 | 延暦 13 | 桓武天皇,京都に遷都,旧の如く織部司を設置 | |
| 839 | 承和 6 | 織手町に火災(続日本後記) | |
| 1048 | 永承 3 | 織部司の織手らが私的に綾錦らを織るのを禁止する | |
| 1229 | 寛喜 元 | 京中織手,唐綾を織り出す(明月記) | |
| 1285 | 弘安 8 | 摂関家の織手,宇佐宮御神服を織る |
室町時代
| 西暦 | 年号 | 染織事項 | 関連事項 |
|---|---|---|---|
| 1467 | 応仁 元 | 大舎人町,大宮の工人等四敵して京都の機業一時絶える。 織工,堺,山口に逃れたもの多し(西陣の名称これより生る) | 応仁の乱起る |
| 1477 | 文明 9 | 京都,堺,山口に機業興る | 応仁の乱終る |
| 1496 | 明応 5 | 祇園会の再興 | |
| 1497 | 明応 6 | この頃羅技術衰退 | |
| 1504 | 永正 元 | 京都機業興起(大舎人方,白雲村練貫方) | |
| 1514 | 永正 11 | この頃大舎人方,練貫方の対立抗争 | |
| 1548 | 天文 17 | 大舎人座31家,足利家より特権と保護を与えられる | |
| 1555 | 弘治 元 | 西陣新しい紋織を考案創始する | |
| 1571 | 元亀 2 | 大舎人座の6家,内蔵寮織物司の勅許を受く 京都金襴緞子唐織など踊衣裳に用いられる事盛ん | |
| 1573 | 天正 元 | 室町幕府滅ぶ | |
| 1578 | 天正 6 | 上杉謙信歿 | |
| 1582 | 天正 10 | 明様織法にならって堺(錦,唐織,金襴,紗,紋紗,金紋紗,緞子,縮緬) 西陣(繻子)で制作活発化 大舎人方紗織を始む | 織田信長歿 |
| 1585 | 天正 13 | 豊臣秀吉,機業を保護奨励し,西陣次第に盛んになる | 秀吉関白 |
| 1591 | 天正 19 | 中国の織工,堺で縮緬,金襴,緞子,繻子等織る | 秀吉全国統一 |
| 1597 | 慶長 2 | 西陣俵屋某,明様の綿に,中世以来の浮織技術を加えて唐織を製織 西陣野本某,堺より金襴製織法習得,紗,紋紗,金紋紗の製織法も 堺より伝わり,製織,西陣綸子を明の織法にならい始める | |
| 1598 | 慶長 3 | 秀吉歿 |
江戸時代
| 西暦 | 年号 | 染織事項 | 関連事項 |
|---|---|---|---|
| 1603 | 慶長 8 | 江戸幕府開く | |
| 1604 | 慶長 9 | 輸入生糸の糸割符の制度始まる | 江戸奢侈禁制 |
| 1651 | 慶安 4 | 京都の織工ビロードを織り出す | |
| 1659 | 万治 2 | 西陣唐糸高騰に際して,幕府の保護を受く | |
| 1683 | 天和 3 | 金紗,縫,惣鹿子など禁制。明の織法に倣って絖,琥珀を織り始める | |
| 1688 | 元禄 元 | この頃染織技術高度に発達,高級織物需要増加のため西陣大機業地に発展 | |
| 1698 | 元禄 11 | 西陣唐糸の輸入制限,唐糸高騰 | 美服禁止令 |
| 1702 | 元禄 15 | 西陣織売買途絶,機業家困窮す | 諸物価高騰 |
| 1703 | 元禄 16 | 西陣織屋160余町の大機業地に発展 | |
| 1706 | 宝永 3 | この頃西陣,西陣組という機業団体を結成し,団結 | |
| 1714 | 正徳 4 | 幕府,機屋倒産のため国産糸の兼用を命ず | |
| 1716 | 享保 元 | この頃幕府の殖産政策により地方機業進展,丹後縮緬を始む | 享保の改革 |
| 1720 | 享保 5 | 西陣織工江戸城内吹上の織殿に招かる | |
| 1725 | 享保 10 | フランスでジャカード紋紙発明 | |
| 1730 | 享保 15 | 6月,西陣大火,108町焼く。織機7,000余のうち3,000余を焼失(西陣天狗筆記) | |
| 1736 | 元文 元 | ワイアットとポール,ローラ紡績機を発明 | |
| 1738 | 元文 3 | 桐生に西陣技術伝う(紗綾・縮緬) | |
| 1744 | 延享 2 | 西陣高機織屋7組仲ヶ間の成立 | |
| 1764 | 明和 元 | ハーグリーブス,ジェニー紡績機発明 | |
| 1769 | 明和 6 | アークライト紡績機発明 | |
| 1772 | 安永 元 | ビロードの帯この頃より一般化 | |
| 1779 | 安永 8 | クロムプトン,ミュール紡績機発明 | |
| 1783 | 天明 3 | 撚糸八丁車発明 | この頃大飢饉 |
| 1788 | 天明 8 | 京都大火のため西陣中枢殆ど全焼,機業一時中絶 | 天明の打こわし 奢侈禁止 |
| 1796 | 寛政 8 | 織屋2,000余軒,うち400軒ばかり休織(西陣天狗筆記) | |
| 1800 | 寛政 12 | 西陣機業復活 | |
| 1801 | 享和 元 | ジョセフ・ジャカード,パリ博覧会に出品 | |
| 1804 | 文化 元 | 桐生に京都の技術伝う(琥珀) | |
| 1817 | 文化 14 | 西陣高機織屋奉公人取究所設立 | |
| 1825 | 文政 8 | 桐生,京都にならって糸錦の製造 | |
| 1832 | 天保 3 | 桐生各種の織物盛ん,さらに京都より繻子の法伝う。堺で緞通製作 | 外国船打払令 |
| 1837 | 天保 8 | 全国の凶作により,西陣不況,休機すこぶる多し | 全国的大飢饉 |
| 1839 | 天保 10 | 西陣この頃原糸高騰に悩む | |
| 1841 | 天保 12 | 西陣,種々災厄打続き染織ともに不振となる(この頃織屋2,100余軒,機数3,100余) | 天保改革 |
| 1842 | 天保 13 | 西陣織屋塵仲ヶ間解散 | |
| 1852 | 嘉永 5 | 織屋約1,000余軒 | |
| 1853 | 嘉永 6 | 西陣高機8組仲ヶ間再興す | |
| 1866 | 慶応 2 | ハタースレイ・スミス,ドビー織機を発明 | ペリー浦賀に来航 |
| 1867 | 慶応 3 | 薩摩藩鹿児島紡績所設立 | 大政奉還 明治維新 |
明治時代
| 西暦 | 年号 | 染織事項 | 関連事項 |
|---|---|---|---|
| 1868 | 明治 元 | 明治維新 | |
| 1869 | 明治 2 | 西陣物産会社設立 京都府勧業課養蚕奨励に着手 | |
| 1870 | 明治 3 | この頃西陣にて桑蚕製糸に功あぐ 御寮織物司自然解消 | |
| 1872 | 明治 5 | 西陣の技術者佐倉,井上,吉田の3名をフランスヘ派遣して新織法を習得させる | |
| 1873 | 明治 6 | フランス,オーストリアよりジャカード・バッタン機輸入 | |
| 1874 | 明治 7 | 京都博覧会にジャカードなどを陳列す 二条河原町織工場で本邦最初の洋式機械を運転する | |
| 1875 | 明治 8 | 織工場で新織法の教授普及に努める | |
| 1877 | 明治 10 | 西陣織物会所設立 日本最初のジャカード機製作、この頃バッタン使用 織工場を織殿と改称 西陣,フランスに機織習得のため留学生派遣 | 西南の役 第1回内国勧業博覧会 |
| 1878 | 明治 11 | この頃西陣にて綜釣使用 | |
| 1881 | 明治 14 | 織殿を民間の経営に移す | |
| 1882 | 明治 15 | 西陣共進織物会社設立し,力織機輸入使用 | |
| 1883 | 明治 16 | この頃,再び織殿を官営にし,西陣から生徒を募集して洋式機織法を教授する この頃バッタン機を繻子製織用に改良す 西陣にて織物工業組合を組織する | |
| 1885 | 明治 18 | 西陣織物組合を組織する 西陣織物市場設置開始 | |
| 1887 | 明治 20 | 西陣織物市場,不評のため休場 京都織物会社を創設し,織殿を含めて民間機業として発足 京都紋織会社,ジャカードによって皇居装飾織物制作 | |
| 1888 | 明治 21 | 西陣織物会社創立 | |
| 1892 | 明治 25 | 西陣織物製造組合組織され西陣織物図案発行 | |
| 1894 | 明治 27 | この頃西陣でネクタイ製織 | 日清戦争始まる |
| 1897 | 明治 30 | 京華図案 | |
| 1898 | 明治 31 | 西陣織物同業組合創立 | |
| 1900 | 明治 33 | この頃西陣一般紋織は殆どジャカードに推移する | パリ万国博覧会 |
| 1901 | 明治 34 | 西陣,新ジャカード機製作 ヴァンサンジー機,ヴェルドール機など輸入 農商務省後援により西陣模範工場設置 | |
| 1904 | 明治 37 | 絹力織機完成 | |
| 1906 | 明治 39 | 万産社をはじめとして,ヴァンサンジー普及 西陣模範工場ジェードリーシュの力織機購入 ヴェルドール社起り,ヴェルドールの輸入販売にあたる | 日露戦争始まる |
| 1909 | 明治 42 | 京都染織試験場竣工,織物税撤廃デモ | |
| 1911 | 明治 44 | 京都,染織業界革新 |
大正時代
| 西暦 | 年号 | 染織事項 | 関連事項 |
|---|---|---|---|
| 1914 | 大正 3 | 本庄栄治郎氏「西陣研究」を著す | 第1次世界大戦勃発 |
| 1915 | 大正 4 | 西陣織物館開館 | |
| 1916 | 大正 5 | 京都市立染織試験場開設 | |
| 1917 | 大正 6 | 米独断交により生糸暴落,続いて高騰,株価も暴落して西陣打撃受ける | 暴利取締り物価調整令公布 金輸出禁止令公布 |
| 1918 | 大正 7 | 第1回西陣織物競技会実施 | 米価暴騰,米騒動起る シベリア出兵 |
| 1919 | 大正 8 | ヴェルサイユ講和会議 | |
| 1923 | 大正 12 | 関東大震災 | |
| 1925 | 大正 14 | この頃西陣の糸商国産人絹糸の販売を始める | 治安維持法公布 普通選挙法公布 ラジオ放送始まる |
昭和時代
| 西暦 | 年号 | 染織事項 | 関連事項 |
|---|---|---|---|
| 1927 | 昭和 2 | 金融恐慌起る | |
| 1931 | 昭和 6 | ジュネーブ軍縮会議参加 | 満州事変勃発 |
| 1932 | 昭和 7 | 佐々木信三郎氏「西陣史」著す | 上海事件勃発 |
| 1933 | 昭和 8 | 西陣織物同業組合から分離独立して西陣着尺織物工業組合創立さる | 五・一五事件 国際連盟脱退 |
| 1936 | 昭和 11 | 西陣天鵞織工業組合設立さる | 二・二六事件勃発 |
| 1937 | 昭和 12 | 綿糸統制令発せられる | シナ事変勃発 日独伊防共協定調印 |
| 1938 | 昭和 13 | 西陣織物工業組合設立され,西陣織物同業組合40年余の華々しい活動の 幕とじる。この頃西陣に於て軍需製品の製造姶まる。生糸をはじめ綿糸, ステープルファイバー,人絹等の配給統制規則次々に公布さる。 物品販売価格取締規則公布,暴利取締令発布 | 国家総動員法発布 |
| 1939 | 昭和 14 | 国民徴用令により西陣の徒弟続々軍需産業に徴用され, 西陣の奉公人制度廃絶 | 公定価格制度実施 |
| 1940 | 昭和 15 | 七七禁令公布され,西陣に大打撃与う 西陣織物価格査定委員会できる 西陣織物産業報国連合会設立される | |
| 1941 | 昭和 16 | 西陣織物館閉館し,織物査定工場に使用される 西陣の企業合同進む | 太平洋戦争突入 米穀配給制度実施 |
| 1942 | 昭和 17 | 衣料配給制度実施され,衣料切符交付さる 第1回,第2回の企業統合完了し101の企業体に統合さる | |
| 1943 | 昭和 18 | 西陣織物工業組合帯地部陸軍省発注の宮城の図製織 | |
| 1944 | 昭和 19 | 前後5回にわたる企業整備の結果,力織機関係321名,手機関係703名が 廃業,これにともない手機9,933台,力織機3,484台が廃止されたが, これは当時の西陣の機台数の60パーセントにあたる 西陣織物統制組合設立され,西陣織物工業組合ならびに 西陣着尺織物工業組合解散 陸軍の発注になる軍用徽章を西陣織物統制組合が製織 | |
| 1945 | 昭和 20 | 西陣地区に爆弾投下される 強制疎開盛ん | ポツダム宣言受諾し, 無条件降伏す。 連合軍日本占領 |